読売新聞 編集手帳より抜粋
2009-05-19
詩人で評論家の有馬敲さんに、「ヒロシマの鳩」という詩がある。
被爆地の空を舞う鳩に呼びかけていう。
<近くの球場から聞こえる/大歓声よりも高く鳴け/苦、苦、苦、苦、苦>
張本勲さん(68)の半生をたどるとき、鳩の声がする。
広島での被爆、
幼時の大やけどで右手に残った障害、
在日韓国人二世としてなめた辛酸、
家計の窮迫—
これでもかと「苦」が続く。
野球を学びに大阪の高校へと進むとき、
なき父親に代わって一家を支える兄は、月々2万3千円の給与から1万円を仕送りしてくれたという。
試合後も毎夜300本は欠かさなかった素振りと肉親の愛情から、安打3085本の日本プロ野球記録は生まれている。
イチロー選手(35)が日米通算の安打数で張本さんの記録に並んだ。
30年に及ぼうという歳月を、ただ一人の登山者も寄せ付けずにきた大記録の名山を仰ぐ
先のWBC大会では不調にあえぎ、メジャー開幕には胃潰瘍を患って出遅れ、
イチロー選手も試練の雨風に打たれて頂上に立った。
3085mならぬ「3085本」の霊峰には今も<苦、苦、苦…>と鳴く鳩が棲むらしい。
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